盛岡西ロータリークラブ会長コラム(23年7月~24年6月)

第35回例会 会長あいさつ「裁判官弾劾裁判」(2024年4月4日)

今年から再び盛岡西ロータリークラブの会長となりました。 会長挨拶をホームぺージでもご紹介いたします。

一昨日(4月2日)の早朝4時24分に、久々に大きな地震がありました。岩手県沿岸北部を震源とする最大震度5弱だったそうです(盛岡市は震度4)。すると、昨日朝、台湾で震度6強の地震が発生し、沖縄地方でも小さいながら津波が観測されました。盛岡市の友好都市の花蓮市で傾いた建物や土砂崩れの画像がニュースで流されました。被害が大きくならないことを祈るばかりです。東日本大震災の際は、台湾からの寄付が世界の中でトップでした。今回は盛岡市を始め、ロータリークラブでも台湾を支援する番だと思います。

昨日、仙台高裁の岡口基一判事に対するSNS投稿行為等に対する弾劾裁判で罷免判決がありました。皆さんあまり興味がない話題かも知れませんが、憲法の歴史にとっては内閣不信任決議がなされるのと同様に重要な出来事です。わが国の三権分立は、立法、行政、司法が互いに独立しながら相互に牽制し合う構造が取られています。司法権に関して言えば、裁判所は行政行為に対し違憲・違法判決を出せるだけでなく、国会が作った法律に対し、違憲立法審査権を持っています。他方、下級審の裁判官は最高裁が指名した者の名簿によって内閣が行い、最高裁の裁判官は内閣が任命、長官は内閣の指名に基づいて天皇が任命することになっています。裁判官は身分保障されていますが、最高裁判事には国民審査があり、また国会議員で構成される弾劾裁判所の審査があるため、民主主義的な基盤を一応有していることになります。

裁判官が罷免されるには、①職務上の義務に著しく違反し、または職務を甚だしく怠った時(1号)と、②その他職務の内外を問わず、裁判官としての威信を著しく失うべき非行があったとき(2号)となります。これまで弾劾裁判での罷免は7例あり、その殆どが、買春、ストーカー、盗撮、物品収受等の刑事事件にもなりうるような非行で、②の裁判官としての威信を著しく失うべき非行に該当しました。そのため審理期間や回数は少なくて済みました。

今回は、このような非違行為というよりは、SNSの投稿という、一般の国民であれば表現の自由の範疇に入る行為が、果たして裁判官として一定程度制約されるものなのかどうかという点が争点となった最初の事例でした。制度が始まって以来初の高裁判事の弾劾裁判であることも評判を呼びました。

判断に関する問題点はいくつかあると思います。まず、過去に基準となる先例がありません。それと表現の自由との関係です。ここに参加している会員は積極的にX(旧ツイッター)、フェイスブック、インスタグラムを閲覧していますか。見るとすれば、マスメディアが報道するので、興味があれば見る程度でしょう。事件当事者となったとしても、自分から積極的に他人の意見を見に行くことはないと思います。表現の自由の神髄の一つは、報道等の媒体を通じて、国民の民主的意見を形成することに資するということにあります。しかし、逆に人々の感情を逆なでし扇動する報道はどうなのでしょうか。谷口裁判官のSNS投稿は、マスメディアが取り上げなければ、フォロアーと言われる一部の人たちが閲覧するだけで、単なる個人の意見に過ぎないということもあり得ました。私も彼のSNSは知りませんし、直接見たことはありません。谷口判事の投稿を見た一部の人が拡散し、そのことでマスメディアが切り取られた一部を報道しなければ、被害者と言われる人を含めた多くの人が知ることはありません。その切り取られたものを、「裁判官としての威信を著しく失うべき非行があった」として職を失わせたのが今回の罷免という判決です。谷口判事は、あと数日で裁判官の任期が終わり、再任を希望していないので、いずれ裁判官の職から解かれるというこのタイミングで、法曹資格さえ奪うというのは強大な権力です。強大な権力行使こそ慎重になる必要があります。

私たち弁護士は常日頃から、裁判官は殻に閉じ籠っていないで世間を知ってほしいとか、裁判官にも表現の自由があるはずなのに忖度して自粛し過ぎである等と意見を述べることがあります。そのため、最近はSNS投稿するような裁判官が出てきたのだなという感想を持っていました。今回の弾劾裁判が、裁判官への萎縮効果に繋がらなければいいがと思っています。

これで会長挨拶を終わります。

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