盛岡西ロータリークラブ会長コラム(23年7月~24年6月)

第25回例会 会長あいさつ「震災関連死を防ぐ対策を速やかに実施してほしい」(2024年1月18日)

今年から再び盛岡西ロータリークラブの会長となりました。 会長挨拶をホームぺージでもご紹介いたします。

昨日の1月17日は、阪神淡路大震災が発生してから29年目の日でした。死者・行方不明者6437人とされています。平成7年のことでした。

当時、私は東京の法律事務所に勤務し、所属する第二東京弁護士会の派閥からの要請で、4月の終わりと5月の連休明けの2回、神戸弁護士会(現兵庫県弁護士会)に法律相談の助っ人に入りました。

最初の訪問では、弁護士会までの線路は全線復旧していなくて、大阪から電車を乗り継ぎ、最後は数キロ徒歩でした。高速道路が寸断されていたり、倒壊した家屋がそのままある途中の景色には息を飲みました。神戸弁護士会4階の講堂は、震災直後に家を失った避難者が押し寄せてきたために、弁護士会の事務局長の判断で避難所として開放し、掃除当番を決めるなど自治ができていました。30分毎に入れ替わる相談は、アパートの大家さんからは全壊認定を受けたのに住民が立ち退かないでいるので困った、次の人は大家から立ち退きを求められているが出ていくところがない。あるいは、隣の家が傾いて自分の家にもたれ掛かっている、次は逆の立場の人と順繰りに相対立する相談がありました。

あなたにはこんな権利があるので、神戸簡裁の民事調停を申し立てなさいと勧めていましたが、対立当事者にそれぞれの権利を教えても何の解決にもならず、また裁判所も機能が戻っていないのに裁判所に行けと言ってもアドバイスにならないと虚しい気持ちになりました。弁護士会で作る裁判外紛争解決機関としてADRを立ち上げるのは、こういう経験あって、東日本大震災の時は、仙台弁護士会での震災ADRが賑わいました。

ところで、1980年以降の死者が多かった地震を調べてみました。

1983年日本海中部地震 死者104人、

1993年 北海道南西沖地震 死者・行方不明者230人、

1995年 阪神・淡路大震災 死者・行方不明者6437人、

2004年 新潟県中越地震 死者68名 内災害関連死52名、

2008年 岩手・宮城内陸地震 死者23名、

2011年 東日本大震災 死者・行方不明者2万2000人 内災害関連死3500人、

2016年 熊本地震 死者273人 内災害関連死218名、

2018年 北海道胆振東部地震 死者42人、

2024年 能登半島地震 死者232人 内災害関連死14人 負傷者1151人。

これらのデータから、83年からの41年間で9回、つまり5年以内に一度、死亡者数が多い地震が起こっていることが分かります。今般の能登半島地震での被害も心が痛みます。わが国では短期間にこれだけの地震があるのであれば、地震発生後すぐに災害関連死を防ぐための対策が実施されておかしくありません。ところが、能登半島地震では、地震発生から17日経っても、二次避難はまだ7パーセントだといいます。孤立した住民へのアクセスが極めて悪い事情がありますが、過去の地震の教訓を活かして、もっと即効性のある方策があって然るべきだと思います。

1月13日、台湾総統に民進党の頼清徳(ライチントー)氏が当選しました。台湾の独立か、中国との融和かが選挙で問われました。わが国の選挙と違うのは、各候補が、国の将来を左右する争点となっている政策を掲げていることです。有権者にとって、投票行動にそのまま影響を与えます。台湾の総統の選択は台湾と中国、ひいては日本の将来に関わることから、この日のニュースでは長い時間をかけて開票状況や解説がなされていて、私も深夜までテレビを観ていました。わが政府は一昨年末の安保三文書で台湾有事に備えた防衛力を強化するための大型予算を投入することを決めました。しかし、中台戦争が勃発して米国と共に参戦すると、日本にある米軍のミサイル基地が狙われ、わが国が戦場となる危険性があります。何とかこのような事態にならないよう、世界で知恵を絞ってほしいものです。

1月7日に袴田再審弁護団長の西嶋勝彦弁護士が逝去されました。82歳でした。30年以上に亘り、袴田再審を支えてきた弁護士で頭が下がります。袴田さんの再審無罪判決まで生きていてほしかったです。西嶋先生とは、この数年間、日弁連の委員会で、ほぼ毎月顔を合わせていました。2年前位からは酸素ボンベを付けた車いすで活動していました。故人のご冥福をお祈りし、会長挨拶を終わります。

(向かって左が西嶋弁護士。2023年3月13日 日弁連講堂にて)

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