盛岡西ロータリークラブ会長コラム(23年7月~24年6月)

第22回例会 会長あいさつ「狭山事件の石川一雄さんに直接お会いすることができました」(2023年12月14日)

今年から再び盛岡西ロータリークラブの会長となりました。 会長挨拶をホームぺージでもご紹介いたします。

皆さま、こんにちは。第22回の会長挨拶をいたします。

本日は、クラブ協議会があります。今年度は、もうすぐ半年が過ぎようとしていますが、早くも次年度の活動方針などを、次年度会長予定の芳賀会員を中心に行っていただきます。

本日のゲストとして、根澤美久さんに来ていただきました。根澤さんは、昨日司法修習を終え、今日弁護士登録したばかりで、弁護士初日となります。こんな珍しい機会はめったにあるものではないので、当クラブにご挨拶に来ていただきました。本日から、私の盛岡中央法律事務所の一員となります。みなさま、宜しくお願いします。

さて、大谷翔平選手の移籍先がドジャースに決まりました。契約額も史上最高額で話題を呼んでいます。背番号17番を譲ったジョー・ケリー投手も偉いですね。来季、新たな球団で力を発揮してもらいたいです。私の事務所に飾っている6年前(日ハム最終シーズン前)の写真とサイン色紙の価値が上がるかも知れません。

先週金曜日(12月8日)、日弁連で臨時総会がありました。日弁連には、定期総会の他に、年度途中での主として規則改正の承認を求める臨時総会が開かれるのが恒例です。

今回の議題は、国選弁護報酬に関し、遠距離接見や記録謄写が大部に亘った場合などに一部日弁連が援助する規則や、再審弁護人に対する援助制度です。いずれも、昨年度に私が副会長として担当した分野でした。

刑事事件のほとんどは国費で報酬が賄われる国選事件です。私が弁護人となった奥州市メッタ刺し殺人、宝くじ当選女性殺人、ホテルルイズホテトル嬢殺人、小5男子殺人など、全て国選事件でした。国選事件の報酬は、現在では日本司法支援センター、通称法テラスが決めています。その金額は、私が弁護士になった頃と大差なく、報酬の低さゆえに、弁護士の国選事件離れすら起きています。

国選報酬がアップしないのは財務省が絡んでいるという事情もあります。そこで、将来の国費化を目指しながらも、当面は日弁連の基金のストックの中から、プラスアルファの援助をする規則が承認されました。

また、刑期が確定した受刑者には、裁判のやり直しをする再審制度がありますが、再審事件の弁護については国選事件の対象外となっているので、死刑再審を始め、再審を扱う多くの弁護士は、無報酬、手弁当で使命感だけで弁護活動を行っています。その再審弁護人に対し、いくらかでも援助すべきではないかと、再審弁護人の活動に対して一人21万円の援助金を支給する制度も承認されました。この臨時総会議案が承認され、私が担当した案件は一段落しました。

12月9日に熊谷市で、「狭山事件60年!小泉法務大臣の地元でえん罪と死刑制度を考える集い」に参加してきました。私が狭山事件、狭山裁判を知ったのは大学に入った年でした。当時、一審で死刑判決を受け、控訴中だったのが石川一雄さんです。石川さんは、昭和49年(1974年)10月31日に東京高裁で死刑から無期懲役に減刑され、最高裁で無期懲役が確定しました。その後、94年に仮釈放され、31年7か月ぶりに自宅に戻ることができましたが、無期囚であることに変わりはありません。石川さんは無罪を求めて現在第3次再審請求をしていますが、まだ再審開始決定には至っていません。私が弁護士になることを決意した一つには、えん罪事件といわれるこの狭山事件がありました。当時の部落差別問題とも絡んだ見込み捜査による立件でもありました。私は実際に、現地調査にも加わり、石川さんのお父さんから、脅迫状を書いたとされる万年筆が、以前に2回も捜索した場所から急に出てきたという話も伺い、無罪を確信しました。証拠の捏造、自白の強要は、今再審裁判中の袴田事件と全く同じ構造となっています。急きょ集会で挨拶に立たされ、弁護士となった後、この裁判に関りを持ってこなかったことをお詫びしました。

私が大学生の時に未決で収監中だった石川一雄さんと、49年経って、ようやく直接お会いし、お話することができました。昨年度、日弁連副会長として開かずの扉の再審法改正の担当として取り組んできたことが、この日に繋がったと思います。もうすぐ85歳となる石川一雄さんに、一日でも早く春が訪れてほしいと願っています。集会の後、石川さんご夫婦から、当日撮影した写真を頂きました。

これで、今日の会長挨拶を終わります。

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