盛岡西ロータリークラブ会長コラム(23年7月~24年6月)

第17回例会 会長あいさつ「再び、宝塚の悲劇が起こりました」(2023年11月2日)

今年から再び盛岡西ロータリークラブの会長となりました。 会長挨拶をホームぺージでもご紹介いたします。

私は昨年12月に、東京宝塚劇場で「蒼穹の昴」を観劇し、懇親会にも参加しました。東京弁護士会に宝塚鑑賞会があり、日弁連執行部の希望者を特別に観劇と懇親会に招待して頂いたのです。演劇やレビューも華やかで良かったですし、その後の懇親会では、各テーブルに着いた元タカラジェンヌの皆さんとお話が弾みました。

ところで、去る9月30日に、宝塚歌劇団の娘役のタカラジェンヌが、マンションから転落死するという事故が起きました。宝塚ファンでなくても、ニュースでご存じのことだと思います。それ以来、彼女が亡くなったのは、過労だけでなく、仲間たちからの壮絶ないじめがあったからではないかとの疑いがあり、現在公演が中止になっているようです。

今回のニュースで再び注目されたのが、「いじめ裁判」とも言われている一連の退学処分取消し仮処分や裁判です。東日本大震災より3年ほど前に、宝塚歌劇団を養成する音楽学校(音校)が、ある生徒を退学処分にした案件で、私が退学処分となった生徒の代理人として仮処分や裁判を担当しました。宝塚の歴史始まって以来の訴訟だそうです。

事件の発端は、盛岡出身で平成20年に宝塚音楽学校(音高)に一発合格した生徒への嫉妬から始まったとされています。生徒達は、彼女には窃盗癖がある、コンビニや劇場で窃盗をした、ルール違反をしたと捏造した事実やささいな違反を音校側に告げたため、音校側が生徒を強制的に自宅待機させた上、同年11月に退学処分とした事件です。寮生活は、生徒達が作ったルールに縛られ、洗濯機の使用を禁止されたり、一人部屋に移されて監視されたり、生徒や職員から心無い言葉を容赦なく浴びされ続けられたことも裁判でも明らかにしました。

退学処分取消しの依頼を受けた私は、同年12月に生徒の地位保全の仮処分を神戸地裁に申し立て、神戸地裁は翌年の平成21年1月に生徒の地位を認める決定を出しました。しかし音校はこれに従わず、別件を作って二度目の退学処分を下します。これに対しても、生徒の地位保全と授業を受ける権利の仮処分が認められました。ところが音校は決定に従わず生徒の登校を校門で実力阻止したため、授業を拒絶した一日当たり1万円の間接強制も認められました。音校は一連の決定に対し悉く上訴を申立て、私は神戸地裁と大阪高裁を行き来しました。もちろん高裁でも生徒の権利は全て認められました。しかし音高は高裁の判断にも従わず、本訴を申立てさせる起訴命令を申し立ててきたため、私は本訴を提起せざるを得なくなり、そのために、いじめや犯罪捏造の主張がマスコミや宝塚ファンに知られることになりました。この反響は大きく、多くの新聞で取り上げられ、私も取材を受け、週刊新潮などの週刊誌の記事にもなりました。神戸地裁での本裁判は平成21年12月から始まりましたが、傍聴希望者が多く、大きな裁判員裁判用法廷が使われました。公開の法廷のやりとりの様子が傍聴した人によってネット記事に書かれ、あっという間に全国に広まりました。裁判は、生徒に犯罪行為があったかどうかという刑事事件の無罪を争う様相を呈し、目撃したとされる現役生徒を含む10数名の証人尋問という大掛かりな裁判にまで発展しました。そして、最終的には平成22年7月に、裁判所の勧告によって音校側は2度の退学処分取り消し、生徒の卒業資格を認めるという決着をみました。音校は退学理由を立証できなかったということです。

この裁判では、何度も、いじめの構造と誤った退学処分は音校の体質によるものだと指摘し、その改善を求めてきました。音校の卒業生はそのまま歌劇団に入るので、この体質がそのまま歌劇団に持ち込まれていると思います。今回のタカラジェンヌの事故は、単に過労死という労災の問題だけではなく、かつての一連の裁判での教訓が活かされなかった結果だと思うと、忸怩たるものがあります。

私が行った裁判は、その後熱心に傍聴に通った宝塚ファンの皆さんが手分けをして、神戸地裁の記録を手書きで書き写して保存していました。今でも、「宝塚音楽学校96期裁判の記録(全まとめ)」として、ウェブで見ることができます。熱心な皆さんは、この裁判を風化させないで、宝塚が「清く正しく美しく」あってほしいと願っている人たちでもあります。

http://takarazuka96.web.fc2.com/96/index.html

以上、ちょっと重い話で済みませんが、今日の挨拶を終わります。

 

 

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